neguran0’s diary

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ころされなさいいつまでも

きーぼーどをたたくと同居人がみをよじる。眠りの邪魔になるからである。もっと静かなきーぼーどだったら良かったのにね。けれど選んだのは自分ではないし同居人ですらないことを考えると何も文句は言ってはいけないことになるのだった。そもそもひとがそばでねむっているのにきーぼーどをたたいていることがもんだいとされるのだった。ねどこのちかくにぱそこんを置いたりわたしが身を整えるばしょがほしいといってもなかったことのように日々をすごしていたりすることをもんだいにはだれもしないのだった。頭を洗って風呂から出てきてみればかいしゃの資料が床上に座布団に置かれている。ドライヤーはへやのおくである。わたしの髪はながくて量が多くてしずくが垂れやすい。わたしはどこで髪を乾かせばよいのだろう。それすらきっちり頭をふいてからでてこいともんだいにされるのだろう。風呂場では換気扇がまわっている。ここのところもーたーがくるっていてぜっふちょうである。どうきょにんは風呂を使っているさいちゅうにもかんきせんをまわす。そうするものだとおもっているのである。しっけがこもるのをきらうのである。わたしは風呂を使っているときにかんきせんなどまわすものではないとおもっている。しっけがつめたいくうきにあたれば結露するにきまっているからである。しっけは風呂から人が出た後に追い出せばよい。けれどそんなことをいったところで聴く相手ではないだろうなあとしか思えないのでだまって換気扇をまわしながら風呂をつかっていたが、明らかに回しすぎで停まるようになったのをいいことにここ数日はとめるようにしている。すいっちがはいっていたってまわしすぎるととまってしまうのだからおなじことである。最近しっけやあつさにべらぼうによわくなっているのはあの換気扇まわしっぱなしの入浴がげんいんなのではとふとおもいたつ。まえはへいきだったふろばの湿気に耐えきれなくなっているきがするのである。それはからだのきのうとしてもんだいであるきがするのである。ひとのしゅうかんをふみにじるひとにぱそこんをいじっているからねむれなかったなどといわれるすじがあるものか。ひとのしゅうかんをうけいれないひとになにかいわれるすじがあるものか。こうして私は不愉快を糧にこんなじかんまでおきてしまうのである。